「最近、忙しくて大変です」
こういう言葉は、周囲でたまに聞きます。
そして不思議なことに、「忙しい」ということが、どこか「頑張っている証」のように扱われることがあります。
仕事がたくさんある。残業している。休日も仕事のことを考えている。そういう人ほど、「仕事を頑張っている人」と評価されやすい。
一方で、「最近は仕事が暇です」と言うと、少し後ろめたい気持ちになる人もいるのではないでしょうか。
でも僕は、最近こう思うようになりました。
「忙しいほうが良い」という考え方は、もしかすると奴隷の発想なのではないか。
もちろん、本当の奴隷という意味ではありません。自分の時間を会社に差し出して、忙しく働いていることそのものを美徳だと思ってしまう、という意味です。
会社が忙しいからといって、僕たちが得するとは限らない
会社員として働いていると、「会社のために頑張ろう」と思うことがあります。それ自体は悪いことではありません。
僕も仕事をする以上、任された仕事はきちんとやりたいと思っています。ただ、少し冷静に考えてみる必要もあると思います。
会社の利益が増えたとき、その利益を最終的に大きく受け取るのは誰でしょうか。
もちろん、会社員にも給料や賞与という形で還元されることはあります。しかし、株式会社であれば、会社の利益は最終的には株主の利益にもつながります。
つまり、社員が一生懸命働いて会社の利益を増やしても、最終的に儲かるのは結局株主という側面があります。
もちろん、これは「仕事をするな」という話ではありません。会社員として働く以上、会社に利益を出してもらわなければ給料も出ません。
ただ、「会社のために忙しく働くことは、それだけで素晴らしいことだ」と考える必要はないと思うのです。
僕たちは会社のためだけに生きているわけではありません。
自分の人生もあります。
家族との時間もあります。
趣味もあります。
勉強したいこともあります。
何もせずにゆっくりする時間だってあります。
それらを犠牲にしてまで「忙しいこと」に価値があるのでしょうか。
会社が暇になったら、それは本当に悪いことなのか
「仕事が暇になったら会社が潰れてしまう。」そう心配する人もいるかもしれません。
確かに、会社としては仕事がなくなれば困ります。
しかし、仮に本当に仕事がなくなって会社が倒産してしまったとしても、それが会社都合による退職であれば、少なくとも「自分が忙しく働かなかったから人生が終わった」という話ではありません。
むしろ、会社都合で職を失ったのであれば、再就職に向けた制度を利用できる場合もあります。失業給付などの雇用保険の制度もあります。
つまり、「会社が潰れないように、自分が限界まで忙しく働かなければならない」とまで考える必要はないのではないでしょうか。
会社の経営は経営者や株主、そして会社という組織の問題です。一人の社員が自分の人生を削ってまで背負うものではありません。
もちろん、自分の仕事には責任を持つ。でも、会社そのものの責任まで自分一人が背負わない。
このくらいの距離感でもいいのではないかと思います。
暇な時間は、実はかなり贅沢なのかもしれない
僕は「暇」という言葉を、もう少し肯定的に捉えてもいいと思っています。
暇だから、本を読める。
暇だから、勉強できる。
暇だから、旅行に行ける。
暇だから、将来について考えられる。
暇だから、何も考えずにぼーっとできる。
こういう時間は、仕事が忙しくなればなるほど失われていきます。
僕自身、働くことは大切だと思っています。でも、仕事が人生のすべてになってしまうのは違うと思います。
仕事が終わった後に自分の時間がある。
休日に仕事のことを考えなくてもいい。
そういう生活は、決して「怠けている生活」ではありません。むしろ、自分の人生を自分で使っている生活とも言えます。
「忙しいです」と言うことがステータスになる社会よりも、「今日は暇だから本でも読もう」と言える社会のほうが、僕は健全だと思います。
もちろん、仕事が好きで忙しく働きたい人は、それでいいと思います。問題なのは、忙しいことを他人にも押し付けることです。
「忙しい人ほど偉い」
「暇な人は頑張っていない」
「残業している人のほうが会社に貢献している」
そんな価値観からは、少し離れてもいい。
会社の利益を生み出すことも大切です。でも、自分の人生を大切にすることも同じくらい大切です。
僕は、「忙しいこと」よりも「自分にとって大切なことに時間を使えること」のほうが、ずっと価値があると思っています。
だから、もし仕事が暇な日があったとしても、そんなに罪悪感を持たなくてもいい。
「暇で何が悪いんだ」くらいに思ってもいいのではないでしょうか。
忙しさを競い合うことから、少しくらい自由になってもいい。僕はそう思っています。

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